私は子供の頃からゲーム好きで、今でもそれは変わりません。
でも初めからゲームが家にある環境だったわけではなく、私が欲しいと頼んだことにより、家にゲーム機がやってきたんですよね。
今回はなぜ欲しいと思ったのか、その後ゲームにハマっていくきっかけとなる出来事について書いてみます。
目次
幼い頃からスーファミには触れていた
夏休みに山梨の従姉妹の家に遊びに行くと、年上である従姉妹たちの家にはスーパーファミコンがありました。
そこで私は【マリオカート】というゲームに初めて触れて、ゲームの楽しさを知ることとなりました。
夏休みの度によくマリカーで遊んでもらっていましたが、まだこの頃は自分が幼かったこともあり、“家にゲームが欲しい”というところまではいきませんでした。
小学校のお楽しみ会での出し物
小学生になり学年が上がっていくと、とあるイベントが小学校で開催されることとなりました。
それが〔お楽しみ会〕というものでその日は1日授業がなく、自分達で考えたゲームを皆でやってみたり、得意芸などを披露したりという日を過ごすというものです。
で、そのお楽しみ会での出し物で、私は〔手品〕のグループに手を挙げました。得意というわけでもなかったですが、いくつか知っているネタがあったのでそれを披露するので良いかなと思ったのです。
ところが手を挙げると、私以外は全員男子でした。私1人とあと5人程の男子です。
当時大人しい性格だった私は「なんでこの手品を選んでしまったんだろう…」とその時は後悔しました。
しかし別のを選び直したいとは言えず、結局そのまま手品チームで出し物をすることとなりました。
手品の練習のため男子の家に行く
それぞれのチームで集まり話し合いが行われ、手品チームはA君の家に集まって皆で練習しようという話になりました。
「えぇーっ!男子の家に行くの!?」と内心驚きましたが、まぁ私だけが女子なのでそうなりますよね。
「Shinana(※以下苗字扱いとします)Aの家知らんよな?俺らが迎えに行くわ」みたいな感じで話が進み、休日男子の家に集まることが決まりました。
当日、自転車をこいで皆が家に迎えに来てくれました。私も自転車に乗って一緒にAの家へ向かいました。
ただでさえ初めて行く家には緊張するのに、男子の家というのも初めてたっだので、心臓をドキドキさせながら家に入りました。
N64との出会い
リビングにお邪魔させてもらい、みんなそれぞれ自分の出し物である手品の練習をし始めました。
しかし練習といっても何時間もそればかりすることもないので、ある程度キリが良いところで練習は終了し、A君はごそごそとゲーム機を用意し始めました。
それがニンテンドー64のゲーム機でした。
スーファミとは全く異なるフォルムに「こんなゲーム機をもあるんだ」と、私はまじまじと眺めていました。
マリオ64でタイムを競い合う男子たち
A君は【スーパーマリオ64】のソフトを起動しました。それは1人用のゲームでした。
そこで初めて3Dで動き回るマリオを見て、私は大きな衝撃を受けたのです。それまで2Dのゲームしか見たことがなかったので、N64のグラフィックの進化に驚いたんですよね。
男子たちはそのマリオ64で、タイムを競い合おうと言い出しました。
それがステージの1つ、〔ピーチのかくれスライダー〕というものでした。どんなゲームか知らない人もいると思うのでURLを載せておきます。
YouTube動画:スーパーマリオ64・ピーチのかくれスライダー
動画はSwitch版ですが、中身はN64と同じです。
マリオがゴール地点まで無事に到着した時にタイムが表示されるので、コントローラーを順番に交代していきながら、そのタイムを紙にメモして誰が一番早いかを競っていました。
ちなみにこのステージ、ショートカットしてタイムを早くすることもできるのですが、みんなは普通のルートでやってました。
私もステージを遊ばせてもらった
男子たちはプレイに慣れているのか、誰も谷底へ行かずにみんな無事にゴールしていきました。
そのプレイの様子をただ凄いなぁと眺めていると、A君が「Shinanaもやってみるか?」とコントローラーを渡してくれました。1人だけ遊ばないのも可哀想と気遣ってくれたのだと思います。
私は「えっ!これやったことないよ!」と驚きつつも、少し嬉しさもありました。
そして私も挑戦してみたのですが、思っていた以上に難しく、私は壁がなくなった時点ですぐにコースアウトし、谷底へいってしまいました。
“やっぱり上手くいかなかったなぁ…”と思いながらも、コントローラーをA君に返しました。
するとA君、「Shinana、惜しかったなぁ」と声をかけてくれたんですよね。
いやイケメンかよと言いたくなる。
当時私は別の男子を好きだったのですが、“A君みたいな子を好きになるべきやろ”と今なら思ってしまいますね。
夕方になり家に帰りましたが、私はその日のゲームでの出来事に興奮していました。
A君が優しくしてくれたこともあり、私はステージ失敗しても“ゲームがすごく楽しかった”という印象が、ずっと残っていたのです。
サンタさんにN64を頼んだ
このゲームをもっと遊びたいと思った私は、その年のクリスマスにサンタさんにN64をお願いしました。
サンタさんからはN64が届いたのですが、私は本体のことばかり考えていたので、ソフトのことをお願いしてなかったんですよね。
これだけでは遊べないとサンタさんも思ったのか、ソフトを1本付けてくれていました。
それが【ワンダープロジェクトJ2~コルロの森のジョゼット~】でした。このソフトについてはまた今度改めて話しをしたいと思います。
実はこのソフトは私にはまだ早すぎる内容だったので、結局別のソフトを母と一緒に買いに行くことになりました。
中古ショップにマリオ64を買いに行く
中古ゲームショップに連れていってもらい、そこで私はマリオ64を買ってもらいました。
その中古ソフトには各ステージのスターは全120個を全てゲットされていたデータがあったんですよね。なのでそのデータだけは大事にとっておき、他のセーブデータでゲームを始めていましたね。
当時はネットもまだ家にない時代で、攻略本も無しに進めていくのは中々難しかったですが、何年もずっと遊び続けられる名作のソフトでした。
このソフトでどっぷりゲームの世界にハマったことにより、その後誕生日やクリスマスが来る度に、毎回ゲームソフトをお願いするようになりました。
こうして私はゲーム好きのまま今に至ります。
余談:従姉妹がN64を買うきっかけ
私はこのN64を従姉妹たちとも遊びたいと思い、夏休みの時に親に車に積んでもらい、一緒に持っていきました。この時行ったのは、和歌山の方の従姉妹です。
祖父の家でN64を広げて、A君の時みたいに〔ピーチのかくれスライダー〕を従姉妹たちとコントローラーを交代していきながら遊びました。
その場にいた大人たちにもコントローラーを回して皆で遊び、最初は何度も落下してしまってもそのうちコツを掴んでみんなゴールしていきました。
祖父も何度も練習した結果、無事にゴールできたので「ワシもついにゴール出来たぞ!」と叫んで喜んでましたね。
こうしてみんなで遊んだN64が、一番年の近かった従姉妹にも良い思い出になったたようで、その後N64を買ってもらっていました。
A君から楽しさを教わり、今度は私が従姉妹に伝えていたみたいですね。あの時一緒に持って行き、皆で遊んで良かったですね。
まとめ
A君の家に行ってN64に触れたこと、それがその後の私のゲーム人生に繋がっていったわけですね。
ゲームは体や脳への影響に良し悪しは色々ありますが、ストーリーについて考えさせられることも多々あり、現実ではない非現実的な世界だからこそ楽しめる要素もあります。
現実の生活にはもちろん重点はおきながらも、今後もゲームとは長く付き合っていきたいと思っています。