皆さんは子供の頃に親と一緒に出掛けた思い出は、色々覚えていますか。
写真を見て思い出すこともあれば、写真がなくても当時の記憶を覚えていたりするかと思います。
今回は私が父と一緒に出掛けた思い出話を記事にしてみます。
目次
週6日働いていた父
私の父は親戚の呉服店で働いていましたが、土曜も仕事に行っていたので、週6日勤務して日曜だけ休みのサイクルでした。
でもその週1回の休みでも、頻繁に私と妹を連れて色んな場所へ連れていってくれました。
家族揃って出掛けることももちろんありますが、母は休日には家事に専念していたことが結構あったので、よく3人で車に乗って出かけていきました。
父とよく出掛けたところ
南港の魚釣り公園
父は上手くはないけど釣り好きだったので、「今度の休み、一緒に釣りに行くか?」とよく声をかけてきました。
「うん、行きたい!」と言うと、休日の朝5時~6時頃に私達を起こしてくれたので、着替えて寝ぼけながら車に乗りこんで出発しました。
家の近くにローソンがあったので、そこでいつも朝食のおにぎりを買って、私と妹は車で食べながら向かいました。妹はその時初めてツナマヨを食べて美味しさに感動し、毎回釣りに行く時はそれを選んでいました。
途中で魚の餌も買って南港に着いたら、父は釣竿と餌の準備をせっせとしてくれたので、一緒に釣りを楽しみました。
たまに波が高いは少し怖いこともありましたが、柵が高いので安全に釣りができました。妹は途中で飽きてしまうので、小さな蟹を追いかけて遊んでいました。
釣りではアジが主に釣れたのですが、魚を持って帰ると父がよく母から怒られていましたね。生臭いからという理由からで、体も生臭くなって帰ってくるので、それも嫌がっていました。
最初は父が怒られながら魚を捌いていましたが、私が高学年になった頃には自分で見よう見まねで、魚を捌いてフライにしたりもしました。私は血を怖がるタイプですが、魚を捌くのは上手くはないけど嫌いじゃないです。
母が言うには、私は釣りに行き始めてから魚を食べられるようになったらしいので、そこは父の釣り好きのおかげだなと思います。
下水道科学館・大阪市立科学館
大阪にあるこの2つの科学館には、ほんとによく行きました。
下水道科学館は、下水道にまつわる色んな科学を学ぶことができる場所です。降水量〇mlの体験コーナーでは、手を伸ばして直に雨量を感じて楽しんだりもしましたね。
大阪市立科学館は建物が結構広くて、入場は4Fから始まって下の階へと段々と下りていく見学コースとなっています。発電するのにどれぐらいのエネルギーがいるかなど、学んだりもしましたね。電気のこと以外に、宇宙に関する展示コーナーもあります。
どちらの施設も共有するのは、“遊びながら科学を学べる”というところですね。
下水道科学館は無料で楽しめますが、大阪市立科学館は有料となっていました。なので私達が有料の方をお願いする時は、父は少しだけ渋る様子もありましたね。でも、この2つの施設は父と何度も遊びに行きました。
大阪市立科学館で見学を終えた時は、1Fにちょっとしたカフェがあったので、そこもたまにおねだりして、2,3度ほど食事もしました。
丸いテーブルを3人で囲んで、皆それぞれ注文したホットケーキを食べる。これが子供の時凄く嬉しくて、強く記憶に残っています。
映画館でのアニメの上映
アニメの映画は私と妹が観たいと言うと、父が連れて行ってくれました。
- セーラームーンS
- ドラえもん のび太と銀河超特急
- ドラえもん のび太のねじ巻き都市冒険記
- 名探偵コナン・14番目の標的
- 名探偵コナン・世紀末の魔術師
- ポケットモンスター・ミュウツーの逆襲
確かアニメ映画で子供の頃に映画館で観たのはこれだけあったはず…。
ポケモンの【ミュウツーの逆襲】は初映画作品にして最高傑作と感じているので、映画館で観れて良かったです。テーマが深くて重い…考えさせられる話でした。EDで小林幸子さんの曲を聴いた時は鳥肌が立ちましたね。
パンフレットもよく欲しがったので買ってくれました。ポケモンは同時上映の関係で2冊パンフが販売されていたので、どちらかだけということで妹が大きなピカチュウ型のパンフを選んでました。
セーラームーンは父は嫌がるかもと思ったのですが、快く連れて行ってくれたのが嬉しかったですね。
その映画館は結構人が空いていて座席を振り返ると、後ろの方に私達と同じように姉妹と父親の3人で来ている家族を見ました。「あっ!私達と一緒だ。」と思ったのを覚えています。
なんとなく嬉しかったんですよね。きっとあのお父さんも、私の父のような優しい人なんだろうなと思いました。
あの時見た姉妹も、今は私と同じ年代になっていますね。父親との思い出を覚えていたらいいなと思います。
公園のテニスコートでテニス
父は独身の頃からテニス仲間と定期的にテニスを楽しむぐらい、テニスが好きな人でした。
なので、父から定期的にテニスを誘われては、これも3人で一緒に行きました。母も1,2回だけ来てくれた時があったと思います。
最初は父の予備のテニスラケットを借りてラリーをしていましたが、地域振興券でテニスラケットを買ってもらった後は、そのテニスラケットで父と一緒によくテニスをしました。
父はテニスに行く時はとても張り切っていて、飲み物とおやつを準備万端にしていました。
お茶はどデカイ水筒に紙コップを多めに用意し、おやつはバナナ数本やプチトマト、プリンや飴などを色々詰めて持ってきていました。なんか半分遠足状態ですね。
体調が悪くならないように、頻繁に休憩タイムの声をかけてくれましたね。
年齢が上がるごとに、他の施設には父と出掛ける機会がなくなりましたが、テニスだけは社会人になった頃も定期的に楽しんでいました。
父の良いところ
週1日だけしか休みがない父でしたが、連れて行ってとお願いして「しんどいから…」という理由で断ることはなく、面倒くさがらない人でした。
いつでもフットワークが軽く、人の為なら進んで行動するタイプです。なので出掛けたいと話をすると、「じゃぁ、今度の休みに行こうか」とよくオッケーしてくれました。
子供の頃の遊びに行った思い出を振り返ると、そこにはいつも父がいます。
父はお盆や年末のまとまった休み以外でも、こうして普段の日曜にたくさん思い出を作ってくれたので、私は父の娘で幸せだったなと思います。
まとめ
思い出を振り返ってみると、改めて父に愛されていたんだなと感じます。
私も人の親になる時は、父のようにたくさんの思い出を子供に作ってあげたいですね。夫も父と似ているので、きっと良い父親になれると思います。
お父さん、これからも見守っていてね…!