母が小学生の頃に授業で習ったという【小さな白いにわとり】のお話。
余程記憶に残っているようで、過去に何度か話題にできてきました。
同世代の方ならご存じかもしれませんが、中々考えさせられるお話なのです。
目次
小さな白いにわとりの内容とは
調べてみると、実際にこのお話は存在していました。
小学1年生の教科書ということで実際は平仮名が多いですが、こちらでは漢字で書き、また内容はある程度まとめる形で掲載します。
小さな白いにわとりが、皆に向かって言いました。
「この麦、誰が蒔きますか。」
豚は「いやだ。」と言いました。
猫も「いやだ。」と言いました。
犬も「いやだ。」と言いました。
小さな白いにわとりは、1人で麦を蒔きました。
小さな白いにわとりが、皆に向かって言いました。
「この麦、誰が刈りますか。」
豚は「いやだ。」と言いました。
猫も「いやだ。」と言いました。
犬も「いやだ。」と言いました。
小さな白いにわとりは、1人で麦を刈りました。
こんな感じで、小さな白いにわとりと3匹のやり取りは続いていきます。
粉を引くのも、パンを焼くのも同様に他の動物達は嫌がるので、にわとりは1人で作業をこなしていくのです。
そして最後。
小さな白いにわとりが、皆に向かって言いました。
「このパン、誰が食べますか。」
豚は「食べる。」と言いました。
猫も「食べる。」と言いました。
犬も「食べる。」と言いました。
物語はここでおしまいです。
この後はにわとりはどうしたのだろうか、あなたがにわとりの立場ならどうするのかなど、読み手に考えさせるものとなっていて、大人が読んでも中々深い内容だなと思います。
このお話はウクライナ民謡をもとにしてつくられたようです。
まるで人々を表しているかのよう
この話に出てくる動物たちは私達人間のことでもあり、動物たちの考え方もまた、この世の中に生きる私達の生き方や考え方などを表しているのだなと感じさせられます。
話の中のにわとりは淡々と作業をこなしているように見えますが、きっと色々苦労をしているはずです。
種を撒いた後は何度も水やりにきていただろうし、麦を刈り取るのも同じ姿勢で腰を痛めながら頑張っていたのかもしれません。
「いやだ。」と断った動物たちには、そんな苦労はきっと知らないことでしょう。
もしかすると大変さを知っていたかもしれませんが、途中からでも手伝いに行くこともなく、最後に選ぶのは「食べる。」という選択。
見て見ぬふりをしたり厚かましい態度を取るその光景は、実は私達の生活の中にもあるわけです。学校生活や友人関係・仕事関係や近所付き合い等、様々なシーンであります。
損得勘定にとらわれずに行動できる人もいますが、自分の利益のことしか考えない人がいることも事実です。
でも損な役回りになってしまうような人がいるおかげで、世の中上手くまわっているところがあります。皆が皆、後者であれば社会は上手く成り立ちません。
この話を思い出すと、自分自身の行動についてもまた考えさせれたりします。
母が記憶していた最後は違った
実は母からはいつもこの先の話も聞かされてましたが、実際は犬の最後の台詞で終わっているので、少し記憶がすり替わってしまってるんですよね。
小さな白いにわとりが、皆に向かって言いました。
「このパン、誰が食べますか。」
豚は「食べる。」と言いました。
猫も「食べる。」と言いました。
犬も「食べる。」と言いました。
焼いたパンを皆でわけて食べました。
ここまでの話を私はいつも聞かされていました。
最後の一文は、母の幼い頃の願望だったのだろうか…。
でも母もこの話を習った時に可哀想とかそういう話をしていたので、もしかすると最後の一文は先生が生徒に話していた一部がすり替わって記憶に残ったのかもしれないです。
これを最後としてもし考えると、小さな白いにわとりに涙が出そうになりますが、世の中にも「自分でほとんど作ってたけど、まぁいっか!皆で分けよう!」としてくれる人がいるんですよね。
私もそんな白いにわとりになれるのだろうか。文句を言ってしまいそうで中々難しいところですね。
まとめ
教育としても良い内容なのですが、教科書として掲載されていた期間は十数年程なので、世代が違えば知らない人も多いのがこのお話です。
私も自分の教科書にはこれは載っていませんでした。定番として載っていてほしいぐらいですが、色々事情もあるのでしょう。
でも母から子へと、この話を教えてもらえたのは良かったと思っています。